赤裸々になれない、だから正体が見えない
中学生の頃からずっと、ホームページやらブログやら、
なんらかの手段で自分発信を続けてきた。
これだけインターネットが普及した今でも、
爆発的に伸びることは特になく、粛々と「なにか」を書き綴っている。
んだけど、思えば、
自分にまつわることを書いたことがあまりない。
日々のちょっと思ったこととか、
日記的なものとか、買ってよかったものとか、
コスメのレビューとか、当たり障りのないことを、
「なんか雰囲気良さげに見える部分」だけを、
なんとな~くぼんやり切り抜いている。
というのも、思っていることを赤裸々にすると、
真っ黒すぎる。
我ながら、なかなかの泥沼を抱えているなぁ…と思うのだけど、
きっと自分だけじゃなくて、世の中の人はそういう部分を
うまくコントロールしながら生きているんだろうな。
で、考えてみると、
私が心が動かされるのは、
自分の姿をさらしている人。
何も、すべてを晒せというわけではなく、
見えない部分があるからこそ美しいとは思うんだけど、
見せるべき部分は、うまくラッピングして赤裸々にしている。
ように思う。
たとえば私は、
今よりも若い頃に、それこそ上京したての夢と希望に溢れていた頃に、
「敏腕業界人になるんだ!」とか、
「なんかカッコイイから出版社で働きたいな!」とか、
色んな夢を持っていた。と思う。
けど、挑戦してもうまくいかなかったとか、
面接でボロボロでまったくご縁さえなかったとか、
そういう自分が情けなかったとか、
そういったことを、うまく晒せなかった。
SNSは、正直楽しくない。まったく楽しくない。
でも、やめたらやることもないので、
たま~になんとなくつぶやいたり、写真を投稿したり、
つまらないと感じることを続けている。
「でも、もっと見てくれる人が増えたら? フォロワーが増えたら?」
って思うのだけど、ハッキリ言って、
たぶん呟けど呟けど、私が何者なのか、誰にも分らないと思う。
自分を客観的にみることが苦手で、自分にさえわからないのだから、
まぁしょうがないなぁ…とは思うのだけど。
正体が見えないものに、
得体のしれないものに惹かれるはずもなく。
今日も私は、誰もいないインターネットの浜辺で
ずーっと海を見つめている。
「なんか来ないかなぁ」
なんて思いながら。